「らしさ」は文面以外からもたくさん
文例集をそのまま使うことは「没個性」のように見えますが、苦手な人は無理しなくてもいいのでは。私からすれば、「その人らしさ」は電報を開ける前から見えてきます。その人が選んだ台紙、それはその人がどういう人間で、どんな環境でどんな事が好きだからこの台紙なんだよね、と私なら受け取ります。あぁ今ごろ送ってくるのがあの人らしいよね、などとそのタイミングでも感じます。その「台紙」+「文章」の組み合わせ方にもその人らしさは出るし、さらに花などのプレゼント付きならばもっとわかりやすいです。文章で表現するのが苦手な人でも、それですでにその人柄はにじみ出ているものです。「文が苦手だから例文使う」って事も、その人らしさなのかもしれません。だって例文使いまくる父は、いかにも父らしいのでした。
その姿は良くも悪くもない、ただただ「父」であったのでした。
誰にでも必ずある「苦手」に+1!
その姿は良くも悪くもない、ただただ「父」であったのでした。
誰にでも必ずある「苦手」に+1!
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